太宗

幼少時から聡明かつ冷静沈着な人物として知られ、父が在位中はその補佐に当たった。

父が隠退した後、兄弟や功臣を排除し、さらには後を継いだ定宗に圧力をかけて譲位させ1400年、国王となった。

その後は国制整備と王権強化を図り、地名を山や川などの自然の漢字が入るように変更した。まず、私兵を廃止して軍備を強化。

さらに議政府を最高機関、六曹を中心とする機構をその下に置いた。

1401年には「申聞鼓」という制度を作った。

この制度は宮殿の前に大きな鼓をつけて悔しい事にあった民がいればその太鼓を打って王に知らせ王の助けを懇請するものである。

太宗がこの制度を作ったことは民の都合を自分が直接かかって国を運営するための目的のためだった。

1406年には寺院の勢力を減退させるために特権を大幅に削減させた。

そして行政法典である『経済六典』に『続六典』を追補し、中央集権化を押し進めた。

また、1403年には鋳字所を設立して金属活字による書籍を印刷することにも成功した。

太宗は王権の強化と中央集権の確立のために幾多の功臣と外戚を取り除いた。
update:2010年05月04日